くろてぃーのお仕事倉庫

教師としての日々の実践を思いのままに記録しておく倉庫です。

エンタメを支えるものについてのメモ書き

エンタメを支えるもの①「教師の正しいゴールイメージ」

エンタメを支えるもの②「子どもたちの実態(実力)を正しく把握する。」

エンタメを支えるもの③「タイミング」

 

<①「ゴールイメージ」について>

 

ゴールイメージは2つある。

一つ目は,各教科という視点でのゴール。

これは言うまでもない。

学習指導要領で示されている。

 

もう一つはコンピテンシーベースで考えたときのゴール。

こっちがこれからは特に大切。

一つ目のゴールにこっちをどうやって盛り込むのか,

その選択が正しくできれば

かなりのエンタメになる。

 

めちゃくちゃおもしろくなる。

 

でも,やりすぎたり,足りな過ぎたりするとエンタメにはならない。

一方通行。

それを正確に見極めるために②が大切。

 

<②「実態把握(学習者理解)」について>

各教科で身につける学習内容を山頂だとすると,

ゴールまでのプロセスが,いかに魅力的であっても,

難しすぎるルートでは山に登れない。

大切なのは,そのときの子どもたちが登れる一番面白くて激しい登頂ルートを設定すること。

つまりは,登山者(学習者)が一番達成感を味わえるルートをガイドすることが必要になるのである。

あくまでも登るのは子ども。

教師が上からロープで引っ張っちゃダメ。

 

<③「タイミング」について>

漫才っていうのは,ボケに対して適切なタイミングでつっこむから面白いもの。

そのタイミングが少しでもずれたら面白くない。

授業でも一緒。

 

適切なタイミングで教師がどうやって「ツッコミ」を入れていくのか,それによって思考は一気に深くなる。

 

そういうツッコミを入れていくことがポイント

教育はエンタメだ!

教育はエンタメである。

 

「え?何言ってんの?」

って思った方もいらっしゃると思います。

 

でも,「教育はエンタメ」なんです。

 

「いやいや,教育×エンターテインメントっていろんなとこで言われてるじゃん。」

 

その通りです。

でも,この捉え方もいろいろあって,

ここでは,私なりの「エンタメ」としての教育をお話したいと思います。

 

さて,「教育はエンタメ」なのですが,

その視点で授業を考えたときに,いろいろなものが認められて,

「形」にこだわる必要がないんだと思いました。

 

そもそも,アクティブ・ラーニングと言われて,

「対話だからグループで話し合いだー」

みたいな「形」にこだわってしまってバブル化したことも,

「観」の部分が不安定なままに「手法」に走ったことが原因なわけですよね。

 

だから,「教育はエンタメ」の視点で全てを見たら,

「形」にとらわれずに見れるんです。

 

さて,「教育はエンタメ」論の中身を少し…。

 

まず,エンタメのゴールは,「対象が満足すること」だと思うんです。

対象が笑い転げてストレスを発散したり,

対象が登場人物に感情移入して一緒に涙したり,

対象が新しい知識を得てやる気になったり…

とにかく,いろいろな「満足」があって初めて成り立つと思うんです。

 

でも,そこには「作り手のねらい」があるわけで,

「作り手のねらい」に沿った「満足」があって初めて成り立つのがエンタメです。

 

これを学校教育,特に授業に落として考えると,

「教師のねらい(身につけさせたいこと)に行きつくまでのプロセスで,子どもが満足するような授業を展開すること。」

が,エンタメとしての成功と言えると思うんです。

 

身につけさせたいことを,無理やり押し付けて,覚えさせるのは

対象が満足する形ではありません。

対象が満足するだけで教師のねらいが達成されていないのもまた違います。

 

言い換えると,

やりたくもない繰り返し学習をひたすら「やらされている」うちはダメで,

ただ表面的な「タノシイ」だけの授業ではダメなんです。

 

これが,

子どもたちが主体的に取組む繰り返し学習であったり,

教師のねらいに即した「楽しい」だったらOKだと思うんです。

 

こう考えたときに,

どんな形であっても(講義形式だって,子どもの対話中心だって)

「エンタメ」になっていればOKな授業ですよね。

 

講義形式は全て悪で,話し合いが見えたら正義みたいなのは違うんですよね。

 

TEDなんか見ていると,

話を聞いているだけでワクワクするじゃないですか。

 

ただ,この「聞いている」のにワクワクする時って

「ただ聞いている」わけじゃないんですよね。

 

「聞き手が,発見している感」を提供されているんです。

 

聞いているだけでつまらないのは,

知っていることをただ言われたり,

意味のわからない話をされているときです。

 

これが,

話を聞いていて,

ちょっとずつ「発見」があって

最後には「大きな発見」がある,

つまりは,話者の発見したときの体験を

追体験できているときにワクワクするんです。

 

こういう授業なら

講義形式だって「エンタメ」になるわけで,授業としても全然OK。

思考がアクティブに動いているじゃないですか。

 

アクティブ・ラーニングだって

「発見」がなかったら意味がない。それはもういろいろなところで言われています。

 

要は,「対象者の新しい知識との出会い方」をプロデュースする

のが,教師の大きな役割だと私は思っています。

 

これが「教育はエンタメ」論です。

 

エンタメの形はたくさんある。

Aのやり方が正解でBはダメ,じゃないんです。

もちろん,教師のねらっていることが

これからの時代にフィットするものじゃないとダメなんですけどね。

 

いつでも,「その45分がエンタメになっているのか」

そういう視点で自分を見直すと

いろいろな可能性が生まれてきます。

 

教師って実は面白い

教師って教えることも決められていて

面白くないなぁって思われがち。

学習指導要領があるから。

 

でも,改めて考えたときに

実はすごく面白いことに気付いた。

 

例えば,学習指導要領に示されている「A」っていう教えなければならない内容がある。

 

でも,これって,ゴールが示されているだけで,

プロセスは示されていない。

 

「そんなの当たりまえじゃないか!」って声も聞こえてきそうですが,

そここそが面白み。

 

このプロセス,もちろん,先生によっていろんな工夫があるわけです。

ただ,このプロセスの部分に

自分だけの系統的なカリキュラムがあれば,

めちゃくちゃおもしろくなる。

 

「A」というゴールのプロセスの中で

BやCやDっていう,

指導要領には示されていない

けど,生きていく上ですごく大切な力を

身につけられるように仕組めばいいってことです。

 

このBやCやDっていうのは,

いわゆる「汎用的なスキル」になるわけで,

教科を超えて何度も使って,さらに深めていけるわけです。

 

そう考えたときに,

自分にしかない

BやCやDのカリキュラムを考えて実践するって

めちゃくちゃ楽しい!

 

だって,自分の好きなようにできるんだから。

 

こういう楽しさをもっと広めたいなぁ。

担任がいないと回らないって…

子どもが熱を出し,仕事を休むことになったわけだが,

 

自分が休むことによって,

1日「自習」になってしまう,この学校のシステムこそ

変えなければならないと思う。

 

学校,とくに小学校という場は

担任がいないと回らない。

 

一人に頼りっぱなしな職場なのである。

 

主担当者が何かトラブルによって

仕事ができない状況になると

あげられるはずの100の成果が0になる。

 

理想で言えば,

主担当者(担任)がいなくなっても70くらいの生産性はほしい。

 

そのためには,システムを根本から見直す必要がある。

 

担任一人に頼らないシステム。

 

担任は重要。

担任が多くを見れる家族のような空間は小学校のとてもよい点ではある。

 

その良さを保ちつつ,他の人でもすぐにカバーできるシステム。

 

どうにかできないものだろうか。

教育をぶっ壊すために

今ある教育のいろんなものを

良い意味でぶっ壊したい。

 

「今まではこうだったから~」とかいう

よくわからない同調。

 

それって,教師がとりあえず安心したいだけの

全く生産性のないもの。

 

子どもを考えた行動選択ではなく,

自分を第一に考えた行動選択。

 

何もかもを

批判的思考に基づいて見直し,

 

何が正しいのかを見極める。

それで残ったものこそ,

本当の意味での「不易」だと思う。

 

さて,どこから始めようかな。

 

とりあえず,

「姿勢」とか「挙手発表」とかかな。

教師こそ知のイノベーションが必要

教師の当たり前や、
教師のやりやすさを
無意識に子どもに求めていないか、
改めて自分を見直そうと
ふと思いました。

教師の与えた靴に子どもを合わせるのでなく、
子どもに合った靴を。
っていうのは特別支援教育の基本。
でもこれは通常学級でも一緒。

我々の行為一つ一つが子どもの将来に直結しなきゃね。
何事も子ども目線での根拠が重要。

自分の、自分たちの当たり前を見直す。
そして、今までの伝統だとか
不易だとかにとらわれずに、
良いと思ったことをやる。
これ、イノベーションの基本。
それでも生き残ることこそ、本当の不易って言えるよね。