くろてぃーのお仕事倉庫

教師としての日々の実践を思いのままに記録しておく倉庫です。

教育はエンタメだ!

教育はエンタメである。

 

「え?何言ってんの?」

って思った方もいらっしゃると思います。

 

でも,「教育はエンタメ」なんです。

 

「いやいや,教育×エンターテインメントっていろんなとこで言われてるじゃん。」

 

その通りです。

でも,この捉え方もいろいろあって,

ここでは,私なりの「エンタメ」としての教育をお話したいと思います。

 

さて,「教育はエンタメ」なのですが,

その視点で授業を考えたときに,いろいろなものが認められて,

「形」にこだわる必要がないんだと思いました。

 

そもそも,アクティブ・ラーニングと言われて,

「対話だからグループで話し合いだー」

みたいな「形」にこだわってしまってバブル化したことも,

「観」の部分が不安定なままに「手法」に走ったことが原因なわけですよね。

 

だから,「教育はエンタメ」の視点で全てを見たら,

「形」にとらわれずに見れるんです。

 

さて,「教育はエンタメ」論の中身を少し…。

 

まず,エンタメのゴールは,「対象が満足すること」だと思うんです。

対象が笑い転げてストレスを発散したり,

対象が登場人物に感情移入して一緒に涙したり,

対象が新しい知識を得てやる気になったり…

とにかく,いろいろな「満足」があって初めて成り立つと思うんです。

 

でも,そこには「作り手のねらい」があるわけで,

「作り手のねらい」に沿った「満足」があって初めて成り立つのがエンタメです。

 

これを学校教育,特に授業に落として考えると,

「教師のねらい(身につけさせたいこと)に行きつくまでのプロセスで,子どもが満足するような授業を展開すること。」

が,エンタメとしての成功と言えると思うんです。

 

身につけさせたいことを,無理やり押し付けて,覚えさせるのは

対象が満足する形ではありません。

対象が満足するだけで教師のねらいが達成されていないのもまた違います。

 

言い換えると,

やりたくもない繰り返し学習をひたすら「やらされている」うちはダメで,

ただ表面的な「タノシイ」だけの授業ではダメなんです。

 

これが,

子どもたちが主体的に取組む繰り返し学習であったり,

教師のねらいに即した「楽しい」だったらOKだと思うんです。

 

こう考えたときに,

どんな形であっても(講義形式だって,子どもの対話中心だって)

「エンタメ」になっていればOKな授業ですよね。

 

講義形式は全て悪で,話し合いが見えたら正義みたいなのは違うんですよね。

 

TEDなんか見ていると,

話を聞いているだけでワクワクするじゃないですか。

 

ただ,この「聞いている」のにワクワクする時って

「ただ聞いている」わけじゃないんですよね。

 

「聞き手が,発見している感」を提供されているんです。

 

聞いているだけでつまらないのは,

知っていることをただ言われたり,

意味のわからない話をされているときです。

 

これが,

話を聞いていて,

ちょっとずつ「発見」があって

最後には「大きな発見」がある,

つまりは,話者の発見したときの体験を

追体験できているときにワクワクするんです。

 

こういう授業なら

講義形式だって「エンタメ」になるわけで,授業としても全然OK。

思考がアクティブに動いているじゃないですか。

 

アクティブ・ラーニングだって

「発見」がなかったら意味がない。それはもういろいろなところで言われています。

 

要は,「対象者の新しい知識との出会い方」をプロデュースする

のが,教師の大きな役割だと私は思っています。

 

これが「教育はエンタメ」論です。

 

エンタメの形はたくさんある。

Aのやり方が正解でBはダメ,じゃないんです。

もちろん,教師のねらっていることが

これからの時代にフィットするものじゃないとダメなんですけどね。

 

いつでも,「その45分がエンタメになっているのか」

そういう視点で自分を見直すと

いろいろな可能性が生まれてきます。